彼女の島へ


第7回せとうちW1ミーティングはどこで?
毎度ながら場所の選定は悩む
雨でポシャった第6回(去年の11月3日)が終わった時から次の場所を考えた
「ほうじゃ、あの島がええ!!」
あの島とは「彼女の島」のこと
「映画に出てくるあの島は、たぶんあの辺。
ほじゃが、詳しい場所も知らんし、もちろん行ったこともないけえ島の様子もわからん…
ほうじゃ、聞いてみよう!」

すぐにメールの返事が来た
Y2さんとアイリ〜さんの答えをまとめると…
映画では岩子島、小説では白石島、だだし小説で白石島の固有名詞は出て来ない
岩子島は尾道の対岸、向島から橋で渡ることができるとのこと

ただし、静かな小さな島なので、Wのような音の大きな単車で大挙して集会をするのはいかがなものか?
という意見もあった

それなら近傍の向島や因島のどこかを集会の拠点にして、岩子島は軽く訪問する程度にすれば良い
という意見もあった

 なるほど!!

とにかくイケそうじゃ!直感で感じた
ただし、直感だけでは決められない、必ず下見に行くのが主義である
「第7回ミーティングを初夏の頃にやるとすれば、別冊モータサイクリストに投稿するのは、
まだ寒い頃にせにゃいけん。ちゅうことは、あんまり寒うならんウチに下見に行かにゃいけんのう」

11月勤労感謝の日の頃、下見を決行するつもりだった。しかし、できんかった

年が明けた。春には転勤?たぶん…
その予感はだんだん現実のものになりつつあった
「今年はもう、せとうちW1ミーティングは無理か…
自分がおらんようなった後に、主催をやってくれるモンもおらん
大して難しいことやりよる訳じゃないんじゃがのう…。ほじゃが、しゃあないか
誰かに頼みこんで主催やってもろうてもしょうが無い。」
島でミーティングをやることは、もはや無理としても行くだけ行ってみたい、ここを去る前に。

そんな想いが同志に伝わったのか、彼女の島へのツーリングが現実のものになった


彼女の島に行くにはフェリーで渡る方がいい

Y2さんがそう言った、もちろん異論は無い
カローラ級の4輪が前に1台、2輪が3台、サイドカーが1台、
最後に乗った軽トラは後ろにはみ出しそうだ

5分もかからない、向こう岸に着いた、いわば渡し船だ。
降りたところに立ってるオバチャンに110円払っておしまい!

便利だ、しかも安い!気に入った!

「彼女の島? なんじゃあそりゃあ〜?」という方のために若干解説を…
まず「彼のオートバイ、彼女の島」という小説がある。片岡義男 著で、W3が主人公である。
これが映画化されたのが昭和61年のこと、
角川映画で同時上映は「キャバレー」でメインはそっちだった?

W3にまたがるのは「橋本 巧(コオ)」こと竹内 力、
ヒロインは「白石 美代子(ミーヨ)」こと原田 希和子(原田智世の姉ちゃん)である
…が、それは二の次としよう。全編にわたって主人公は「カワサキ650RS W3」なのである。



場面は信州に始まり、浅間山、八ヶ岳、法師温泉(群馬)、角間温泉(長野)、
白糸の滝(軽井沢)など関東方面でロケしたの場面が前半続き、中盤から瀬戸内のとある島に場面が移る。

ヒロインのミーヨ(原田希和子)の実家がこの島という設定である。
そしてロケに使われた島こそが、この「岩子島(いわしじま)」なのである。


島は、W3でフェリーから上陸するシーンから始まる。
夏の雨の中、畑の斜面に沿った坂道を、爆音を轟かせ登りきった所に傘をさしたミーヨが駆けてくる。
島の小さな小学校の校庭でW3を走らせ戯れる。
そんなシーンが印象的だった

要は15年以上も前の映画を未だに引きずっているのである
その映画のロケ地を訪れ「あ〜だ、こ〜だ」言いあって楽しむというのは、
第3者的にみると
かなりヘンかもしれない。
だが、W3のオーナー(しかも同色)としてはやっぱり気になる島なのである。
少し違うのは主人公の「コオ(竹内 力)」になりきるとか、そういうことを目的としているのではない。
あくまでも自分の所有する同型のオートバイ「W3」を映画と同じシーンにはめ込んでみたい。

そういうコトである。
W3オーナーの多くの方とは、この気持ちを共有できるのではないかと思っている。
(少年の頃、自転車で柵を飛び越え「大脱走」のマックイーンのマネ経験ある方には、なんとなく判って頂けると思う)

反面、おなじW1系オーナーでもメッキタンク系のW(W1、W1S等)をメインとする方には
理解しがたい世界かもしれない。

実際、W3はW1系の末っ子でありながら、ときに「醜いアヒルの子」扱いされる。
「扱われる」とういのは言い過ぎか?
ただ、そう心の内にそう思っている人が多いという話だ。
「W3?ありゃあWじゃないでえ〜、タンクはベタ塗りじゃし、重たいだけのディスクブレーキに…
 やっぱり、Wいうのは右チェンジでメッキタンクじゃないとのう!」
自分はそれを否定も肯定もしない
完全に個人の趣味の世界の話、十人十色、百人百様、否定も肯定も意味がない

ただ、約4年前、イベントを始めるにあったって「せとうちW1倶楽部」とか
「W1ミーティング」というネーミングを付けるときはさすがに考えた。

W3しか持たない自分が「W1倶楽部」「W1ミーティング」というのは奇異に感じられるのでは?
少なからず躊躇った

「W1」か「W」か?

でも「ダブル倶楽部」より「ダブワン倶楽部」、
ダブルミーティング」より「ダブワンミーティング」の方が語呂がいい、口になじみやすい

しかし、「W1」と付けたところで主催者たる自分のはW1ではなくW3。
(W1SAを持っていたことはあるが…)


そして最終的に「どうでもいいことだ」という結論に達した。

かくして「せとうちW1ミーティング」として始まったのが4年前の1998年春
しかし、後になってこの「W1」という名称に対して躊躇した
W650のオーナーが、
迷った末に参加を見合わせたというところまでは考えが及ばなかった。

主催者サイドの考えは「対象:W1系オーナーまたは興味のある方」であり、
これは神奈川W1愛好会会長である高橋氏の考え方を踏襲している。

決して排他的なイベントではないと思っているのだが、それが参加を考えてくれた人に届いていなかったのは配慮が足りなかったと言える
ただ、ある時期「対象:W1−W3」として開催告知を掲載してもらったことがある
第3回だったと思うが、40台を超える盛況だったが、W1以外の車種がかなり多かった。
メグロや直列2気筒のトライアンフ、ヤマハXSなどは大歓迎なのだが、アメリカンが多くなっていた。

アメリカンでもハーレーならば、それでも百歩譲って敬意を払おう。
しかし、こと和製アメリカンは視界に入れたくないぐらい大嫌いなのである。
また、その手の車種の参加はW1系を主とするイベントに相応しくないという意見を頂いたのも事実である。

要は「W1系と、それに関係ありそうな車種で来てくれると嬉しい」ということになる。

関係ありそうな車種が何かは客観的に判断して欲しい
ただ仮にそれが「関係なさそうな車種」だったとしても排他するものではないことを付け加えておきたい。

では、W650の位置付けはどうなのか?よくある話題である。

基本的にはW1系とは似て異なるものだ。やっぱりW1系としては定義できないが関係車種としては文句ない。
しかし簡単に切り分けができない

なぜならW650という車種よりも、それに乗っている「人」の方に関係がある。
その多くは3タイプに大別される

タイプ1:W1系のオーナーでもある、又はかつてW1系オーナーであったがW650を選んだ人

タイプ2:W1系に憧れたが、部品や整備のことで二の足を踏んで、その結果W650を選んだ人

タイプ3:W1系の存在を知らない、あるいは全く意識しないでW650を選んだ人

タイプ1の人は、Welcomeだ、なぜならW1系オーナーの特有のしがらみを共有できるからである
タイプ2の人は、ある意味賢い選択をした人かも知れないと思う。ただし、しがらみの共有は困難。
タイプ3の人は、本当はさらに細分化される。もしW650以外に「改造しまくったTWも持ってます」というのなら、マシンも人も異質。
しかし、そんな人でも実際にW1系に触れた瞬間、頭のてっぺんから電流が走り、
あたかも進行性W病の世界にハマっていくことも十分あり得る、つまり潜在的なダブラー(この言葉はY2さんに教えてもらった)の可能性を秘めている。


故に、
ことW650については簡単に切り分けできないという側面がある

読んでいて「一体何が言いたいか判らん!」と思われる人もいるかもしれないだろう
本音を言うとカネがあったら自分もW650を手に入れ、後先考えることなく気のすむまでイジり回し、
雨風遠近を気にすることなく走り回ってみたいと思っている。
しかし旗艦(フラッグ・シップ)がW1系から
W650に変わってしまうことは絶対に無いだろう。

話は脱線するが、自分には二人の息子が居る

この息子たちもいずれはオートバイに乗りたいと言い出すだろう
しかし、最初からWを与えるようなことは絶対にしないつもりだ、ライダーとしてカタワになる。
最初は原付、これはギヤ付きのものがいい CB50のようなヤツならもっといい
小型を取ったら、DT125のような2ストのオフ車だ、ここで路面とグリップの関係を徹底的に覚えて欲しい
中型を取ったら、まず250。車種はなんでもいい、ひたすら走り回って欲しい、自由に!
次に400だとすれば、4気筒に乗りマルチの特性と高い速度から曲がる止まるというのがどういうことなのかを掴みとって欲しい。
そして大型、ここで何に乗るかは本人達が、そこに至る過程で感じたままに選べばよい
その結果、W1系に乗りたいというのなら考えてもいい。
今の時代、まったく2輪の免許がなくともカネ払って1ヶ月も学校に通えば、いきなりリッター・マシンに乗れてしまう世の中
だが息子たちよ、覚えておけ、おまえたちの親父は決してそれを許さない
それは、君たちの健全なる成長のためだ。
プレステ2も買わんよ!(関係ないか?)

話を「島」とその日あった出来事に戻そう

アイリーさんとY2さんから聞いていて、ある程度の予備知識を持っていったつもりだったが、
本当に小さな島だった、そして静かだ。
海沿いを除いて道路は狭い、軽自動車サイズだ。間違って3ナンバーの車で入り込んだら泣きそうになるだろう。
自分も瀬戸内の生まれ育ちだから、こういう狭さは珍しくもないが、なぜかこの島は雰囲気が違う、なにかいい狭さを感じた。

店らしきものは1軒も見かけなかった、そういえば店どころか自販機さえ見かけなかった
そしてそれが当たり前であり、道を広くすることも、店を作ることも必要ない、今のまんまで十分
そんな感じが漂っている島

向島から赤い橋を渡った我々4台は、橋のたもとでしばらくアイリーさんを待った
ケインさんのマシンを観察しながら話をした。
なぜこのW3はこんなにも音がデカイのか?
一般的にダイコン&連結エキパイの組み合わせで、こんな音が出る道理がないのである。
エキパイは見かけ連結だが、中身は塞いであるとのこと。つまり普通の連結ナシのエキパイと同じ状態らしい。
W3になってエキパイが連結になったのは、左右の気筒の排気脈流を利用して、排気効率の向上と低回転時の出力アップ、
それと消音効果を狙ったものだと理解している。
爆発の後、吐き出される排気の何割かは、連結されたエキパイによって反対側のマフラーにバイパスされる。
つまり分散化される。このため、音の歯切れ感は弱くなる。

ダイコンマフラーとは、誰が言い出したのか知らないが、もはや全国共通語だ。

ダイコンのように先細りした形状と、それ以前のタイプのマフラーに比べて音が細ところから、そんな呼び方が定着したんだろう。
ちなみに、ダイコンマフラーという言葉以外にもW1系にまつわる俗語は少なくない
「へそゴム」「深しぼりフェンダー」「初期コック」「風呂屋のカギ」などなど
何年か前の別冊で、この手の俗語を解説する記事があった。
この記事はW1編にはじまり、次号ではCB編「ヘソキー」「赤スポ」「カットフェンダー」の解説、
そしてスズキ編、ヤマハ編、果てはベスパ編と数回連載されたが、ネタの限界とともにほどなく終わった。
奇しくも連載の2ヶ月前、自分が個人売買欄に投稿した「タンクW1Sメッキ…万円、SA赤黒…万円、あげます W3ダイコンマフラー左右(取来人)」という記事が掲載された。もしかして、このときの「ダイコン」の意味が編集部で話題になり、きっと柳原氏あたりの提案で連載が開始されたのかもしれない。勝手な想像である…

ケインさんのW3はこのダイコンを付けている、にもかかわらず音は相当デカイ
サイドカーを引っ張って負荷が大きいからではない、アイドリングや空ふかしでも音はデカイ
考えられるのは、カー側に搭載した32アンペアの4輪用バッテリーによる強い火花と、その特徴あるキャブの効果ではないかと思う。

キャブは社外品である、埼玉の深井さん(ファインテック・フカイ)のところで取扱のある例のキャブだ。キャブそのものは汎用品と思われるが、これをW1系に取り付けるための専用のマニュホールド、ケーブル(アクセル・チョーク)、エアクリーナが不可欠で、それらをセットで買うことができる。
調子の出ないキャブで長年悩み続ける方にはオススメのアイテムかもしれない
自分が使ってるわけじゃないから大きなことは言えないが、この深井製キャブを着けたWはすこぶる音が良く調子も良さそうだ(といってもそんなに台数を見たわけではないが…)
あきらかに、純正キャブとは何かが違うんだろう
…で、ケインさんにこのキャブを着けた経緯をあらためて尋ねたが、サイドカー込みで買ったときから付いていたそうで、何故かは判らないらしい。また、純正キャブを着けたこともないので比較インプレッションもできないとのこと
この深井キャブ&ダイコン&連結(穴ふさぎ)&32Aバッテリー&サイドカーのW3の謎を是非解き明かしてみたいのだが…

15分ほど赤い橋のたもとに居たが、アイリーさんは現れない。30分以上前の連絡が因島からならば、もうとっくに着いていい頃だけど、おかしいなあ〜?(彼の身に何が起こったのか、このときは知る由もなかった)
…で、先に行くことにした。「島に詳しく勘の鋭い彼のこと、ほどなく合流できるだろう」という読みのもと、4台で島の内陸部に移動をはじめた。
連なった4台が音をたてて走るのが申し訳ないような田舎情緒たっぷりの狭い道、島らしい民家の軒先。
本日のツアコン役、Y2さんカタナ(ファイナル・エディション)が先頭を行く。彼は、こと大林宣彦監督の映画に詳しい。尾道界隈はロケ地の宝庫らしい。たしかに尾道を訪れる人の中には大林映画のゆかりの地の散策を目的とする人も多いだろう。
しか〜し、この島まで訪れる人は滅多におらんじゃろう、居るとすれば…

カタナがクイッと路地を左に入った

どのロケ・ポイントに向かっているのかは知らされてなかったが、なんとなくアレだとすぐに判った。坂を登り始めたからだ。
だけど、こんな場所、ひとりで来たとすれば例え地図を見ながらでも見落としてしまうだろう。
それぐらい何気ない路地だった。

4台が急な坂を登る、相当な音だろう。
島のみなさんゴメンナサイ。
それとも「あ〜、またそういうヤツらが来たか…」と思われているのだろうか?


裏腹にテンションが上がってくる。もうじきだ、来た!ここだ
白いガードレール、その下に見下ろす景色はまさにそのもの
サイドスタンドをかけるのをためらうような坂の途中、4台は止まった。
ケインさんはカー側のサイドブレーキに手をかけたとこだった、それを見た自分はニュートラルに入れるのを止めてローのままエンジンを切った。
The movie…」という大林映画ハンドブックを参考にY2さんのレクチャーを聞く。
見下ろす場所に、小学校の校庭らしき広場はあるが、もはや木造校舎の姿はない、代わりに白いコンクリの新しい建物がある。
いきなりメイン・スポットに来たな!

東京見物でいきなり東京タワーに登ったのと同じような気分(よくわからない比喩)
タッチさんも嬉しそうだ、今日の面子で、この場所がはじめてなのは自分とタッチさんの二人だけだろう。タッチさんは初期型黄色のW3、先週までミスファイヤーの不調に頭を悩ませていたそうだが、それはすっかり自力解決した、原因はコンデンサーのアースだったらしい。レギュレータを交換して以来のトラブルは完結し、今日はマシンも絶好調のようだ。この日のために気合いを入れて整備を間に合わせたらしい。自分より6つほど若いタッチさんだが、見た目もやっぱり若い、
革ジャンも革パンツもブーツもおしゃれだ
自分はというと土方用の防寒ツナギ、この日のため作業用とは別に新しくナフコで買ったものだが、どう見ても「らしくない」格好だ。おまけに髭も剃ってない…

写真を撮るならこのままじゃダサ過ぎる。着ぐるみを脱ぎ、さあて構図を…とその時、下から駆け上がってくる音がした。

来た!アイリー号だ、たぶん今日は「W3改」だろう、やっぱりそうだ
朝の時点では、今日は会えないと思っていただけに嬉しかった、とくにこの場所にいきなり登場というのが彼らしく劇的だった、どんなコメントをしてくれるのか楽しみだ!
がしかし…何やら様子がおかしい、
Yカバー側のステップが真上を向いとる! ミラーも片方グシャっとる!
膝が破れたジーンズには血がにじんでる。平気そうな彼の表情とは裏腹に、傷は痛々しい、よくここまで走ってこれたもんだと感心した。とくにあのステップの状態でRブレーキは全く使えない。アイリー号W3改は近代型に更新されたディスクが前にあるから、Rブレーキへの依存度は少ないだろう。だが、それを差し引いてみても走り辛かったろう
ステップを曲げ戻すのは簡単だ、何度も経験がある。ただし、ある程度の長さの鉄パイプが要る。
無ければできない。タッチさんと一緒に付近を探すが、こういうときに限って見つからない。
「海岸に行けば見つかるだろう、漁具とかあるだろうし」という見解に達した



とりあえず、お約束のシーンにはめ込んだ写真をセミプロの腕前のY2さんに撮ってもらう。

かなり気恥ずかしい…
「あの、本当はTシャツ姿ですよ、メットは脱いでこの辺です」
AD役タッチさんのアドバイスとおりTシャツ姿になる。ほとんど昼どき、寒くはなかったが、どうせなら体にピッチリくるグンゼYG系の丸首Tシャツを着てくるべきだったと後悔
(でもピッチリだと、ブヨブヨの体が強調されるだけか?)

次のポイントへ移動を開始した

坂のすぐ上、登り切ったところにお寺がある
しかし、そこで立ち止まることはなかった。映画の中でお寺はミーヨの実家であり、住職を勤める父親は島の小学校の校長も兼ねている…という設定だった。
横目で見たところ、お寺は改築されたのか白っぽい壁でキレイ過ぎた。
走り出して10秒後に5台が止まるのもめんどうだったのか、なりゆきでそのままスルーした。

墓場の間の狭く急な下り坂をおりると小学校跡に出た。途中、軒先でボール遊びをしていた幼稚園児くらいの子供に出くわした。ああ、やっぱり子供が居る家もまだあるんだな、なんだかほっとした。
瀬戸内のこの手の島では年々過疎化が進み、子供がまったく居ない地域も珍しくないからだ。
ただし、この小学校は廃校になって久しい、岩子島小学校跡の碑があった。
校庭跡には消防団の倉庫があり、日曜日ということからか、消防団の方々が数人作業中だった。
狭い校庭にウルサイ単車が5台が乗り付けてきても、眉をひそめる様子もなかったのは、我々のような輩が時々やってくるのに慣れているということだろうか?
エンジン切って間髪入れず小走りで消防団の倉庫に向かった
「すいません、オートバイを修理したいんですが鉄パイプをかしていただけませんか?」
挨拶がわりの意味もあった。

すると、あった、あった!おあつらえ向きのパイプが!
「ポンプ用のヤツがなんぼでもあるよ、どれでも使いんさい」
ほどなくアイリー号W3改の天を仰いだステップの向きは水平線と同じになった。
「いや〜、助かりました、ハイお返しします。ありごとうございました」
が、しかし、10分もしないウチに再度この鉄パイプを借りなくてはならなかった
この理由についてはあえて詳しく語らない



アイリー号はエンジン周りがオイルだらけになっていた、転倒のせいだろうが、どこから漏れているのか特定できない。ケインさんの側車トランクから取り出したオイルを給油した。

「オイルが漏れてるうちは心配ない、それが漏れなくなったら真剣に心配しなくてはならない」
ある米軍ヒコーキ乗りの間でよく聞くセリフを思いだした。
だが、漏れ続ける今は心配ないからほっておけばいい…という訳にはいかない
アイリーさんとて帰路は100q以上、早めの給油は賢明かつなにより優先だろう
そしてこんな場所でもポンと予備のオイルを取り出してくれるツレがいるというのはなんと心強いんだろう羨ましかった



アイリー号はタペットカバーのナットが1、2個無くなっていた、オイル漏れはこのためなのか?
いいや、ここだけではなさそうだ
タンクを外してみることにした、19oのソケットが要る。この19mmのソケットを持って行かなかったが故に、その昔、出先で歯がゆい思いをしたことがある。だから必ず持ち歩いている。
ところが、ウチのSA(衝動買いSA)タンクはこのボルトが22mmなのである、プラグレンチと兼用できる頭径だ。この点はW3よりリーズナブルだと思った。仮に持ち歩かなくてもそこら辺で入手しやすいサイズだ。ただ、今の場面でこの話題を出してもうまく乗らないので、思い返すだけで止めた。

またY2号カタナの先導のもと、次のポイントに向かった
意外なことに、この小さな島の中にトンネルがあった、小さいトンネルだが中でカーブしていてそこそこの長さがある。
海岸に出た、ただし漁港のようで漁港じゃない。浜なのだ(さっきの学校跡で鉄パイプを借りといてよかった)



このポイントのメインは「石灯籠」

映画では、校庭で盆踊りのシーンの後、ミーヨとコオが夜の海辺で語らうちょっといいシーンである。
石灯籠のある場所は神社があって、水際のむこうに安芸の宮島をスケールダウンした赤い鳥居が立っている、石灯籠も水の中から立っている格好だ。
この場所で近くまでオートバイを乗り入れたのは自分だけだった。アイリーさんのサイトを見てあとから知ったのだが「車両進入禁止」という看板か何かがあったらしい。まあ、もしそれがなかったとしても良識ある大人はこんなことしちゃいけない、冷静になって反省
冷静を装いながらも、かなりハイテンションになっていたその時の自分を戒める。


ここで5台の集合写真を撮ろうと提案した。

この場所を逃したらもう適当な場所がないかもな…そう思ったからだ
それにこの5台・5人が揃うことはこの先無いかもしれない。淡々とそれぞれが、好みのアングルでカメラにおさめていくが、今日のこの記録は後になるほど大きな意味を残すだろう。


3箇所のロケ地巡りを終え、岩子島を離れることにした。

意図的に一番後ろに付いた、みんなの音を聞きたい、そして4人の後ろ姿を見ながら走りたいからだった。

アイリ〜号W3改の音は小島製2点吊りが奏でるトラディショナルなW1サウンド
アイドリング時の歯切れも良いが、開けていくときの音量、音質とも心地よい、模範的な音?と言えばいいのだろうか?



ケインさんW3&SCは、音量と迫力は一番だった。前を走っていても迫り来るサウンドは別格?

音質はダイコン本来のそれとは全く違う。バッフルが別モノに変わってるか何か加工がしてあるんじゃないかと思える程だ。



タッチさんの初期W3は、マフラーこそダイコンだけどエキパイは非連結のSAタイプ。最近火花関係の電装をチューンナップしたせいか歯切れが良い、尾道までの道中も一緒に走ってきたが音質は上品でなかなかのもの。ただ少し距離が開くと聞こえる音量は小さくなる。本人は、SAマフラーに替えたいらしいが、これはこれでいいのではないか、また気分によって付け替えを楽しむのもいいだろうと思った。SAタイプ(1点吊り)マフラーはどこのを買ったら良いのかと聞かれたので、某所で扱っているヤツを勧めた。純正の当時モノ新品が時折ヤフ・オクなどで売られているが、純正と言っても作られた時期によって音質・音量もまちまちで、アタリ・ハズレが激しい。ハズレのヤツは着けてから「なんじゃこりゃあ?」となる。バタバタいうだけで響かないのである。溶接の仕上げ、メッキなどである程度それを見分けることができるが、実物を見てから決めることができないのならリスクは大きい。

某所が作っているモノは、多少値が張るが音質・音量とも好きなタイプだ。アイドリングからプリン・プリンと弾けるような音、開けたときも高音と低音のほど良いバランス、音量は大きめの部類だが「響く」という表現が良くあてはまる。

5台で渡船に乗り込み尾道へ戻る。仕上げは尾道ラーメンだ。
どうせならうまい店で食べたいが「昼時はすさまじい行列なんで時間を外そう」という意図でやってきた。しかし時刻は2時になろうとしていたが、行列はやっぱりあった。


尾道ラーメンというのは何が違うのか?ダシだ
醤油ベースで、ほど良いこってり味、魚のダシも混じってる、風味が独特で瀬戸内らしい味
はじめて味を知ったのは4年前、職場の遠足もどきのイベントで来た尾道で食べた。
また食べたいと思っても、尾道まで足を運ばなければ味わえない。
今日の店はその時と違う店だが、構えからして期待が持てる。

30分ほどだったろうか、店の外で並んで立ち話をしていたが、あっという間に感じた。滅多に集まることのできない我々5人にとって貴重な時間だった。
5人が5人ともサイト運営者であることにあらためて気が付いた、と同時に今日のネタをどういうふに料理しようか?それぞれがネタをリンクさせると面白い!
そんな話から、仕事のことや私生活のことなど、普段のメールのやりとりだけではできない突っつき合いを楽しんだ。
カウンターだけの狭い店だが、4人が休む間もなくフル回転で働いている。
大盛り中華そば550円 安い、しかもうまかった。

食べる間も話は尽きないのだが、後に続く行列もあって、そうゆっくりとはしていられない。
店を出たところで、おひらきに…

ひとり娘を持つアイリ〜さんは雛祭りの今日を押して、このイベントに参加してくれた
当初は早く帰るつもりだったらしいが、この時間だと帰り着くころには夕暮れだ、結局一日付き合わせてしまった。奥さんと娘さんに悪いことしたなあ…
ケインさんも息子さんがインフルエンザで寝込んでいるにもかかわらず、店番を奥さんにまかせて、なんとかギリギリのところで来てくれた。
このサイトの立ち上げにも手取足取りの通信教育を頂き、お世話になりっ放し。

タッチさんは、この日のために時間を搾り出し、W3を完調に仕上げて臨んでくれた
普段の帰宅はかなり遅いらしい。
Y2さんは、1100カタナ、ファイナルエディション。決してW1系オーナーではなく、過去にW歴もない、それなのに何の違和感もなく不思議なくらい溶け込んでいる。人徳の成せる技だろうか?
「ダブルは奥が深い…」が彼の最近の口癖?
実は、自分は前日からW3と出歩いている。前夜は江田島で同期会と称して飲み明かし久々に爆裂。
酒は強くないが騒ぐのは好きだ。目覚めると喉と背中が痛く、朝は寒かったが約束の朝9時、広駅前でY2さんタッチさんとランデブー、そこから一緒だった。
2日間の休日を丸ごとつぎ込んだ贅沢な週末を過ごさせてもらった。女房に感謝。

アイリーさんとケインさんは東へ、

Y2さん、タッチさんと自分は西へ



このあと西方面の一行は最後のロケ地「トンネルの手前で道が二股に分かれるところ」を訪れた。

尾道から20分ほど北上した国道である。
映画ではトンネル抜けた先に「赤い橋」と「ドライブイン」がある。
しかし、実はその橋とドライブインの場所はなんと群馬県。

分割してロケされたものらしい。
ちなみにY2さんは昨夏、カタナで群馬まで走破。念願のその場所を尋ねたそうである。

帰路の高速では、カタナとW3のどうしようもない違いを思い知るのだった。
途中、PAでカタナに試乗させてもらったものの、ポジションのあまりの違いに怖くて
アクセル開けられず終いだった。



広島インター出口 500メートル

一番後ろから加速して追い越し車線へ出る。そして初期W3の横に並ぶ
手を振り聞こえない言葉を交わし、さらに加速し前に出る
既に減速し始めているカタナ・ファイナルエディションの横に着く
「ありがとう、それじゃあまた…」
カタナと初期W3は左後方に消えて行った

さらに高速を走り、18時過ぎに着いた
「日没に間に合った・・・」
ツーリングの時、知らぬ間に自分に無意味なノルマを課して急ぐ癖は直ってないらしい…

3月3日か…
覚えやすいな、そして忘れにくいな

・ひなまつりツーリング?
・せとうちW1倶楽部納め会?
・5サイト合同ミーティング?

なんでもいいや・・・

みんなで「彼女の島」へ行ったんよ、尾道ラーメン食うたんじゃ、
うまかったよ、たのしかったんじゃ

まるで息子の作文みたいだな

あと2週間で引っ越しか…

            2002年 3月3日 日曜日のことでした(3月9日、記す)


                                 戻る

inserted by FC2 system